鬱血痕
「其れ、」
狗が、何故か知らん正面から、僕の右肩辺りを睨み付けて云った。
「何」
「首の、其れ」
指で指される。右首筋。
僕は漸く合点がいったかの様に厭らしく笑う。
「ああ、これ?」
態と左に首を傾げてさらけ出す。紅黒い、花弁を。
狗は更に眉間に皺を寄せる。
「・・・ユーリ、すか」
「他に誰が考えられるの。お莫迦狗君」
「いや、別に、そういうん、じゃ」
しどろもどろに云って視線を泳がせる狗を後目に、僕は手前に置かれたオレンジジュースのストローを咥える。
一口啜って、口を離す。
「厭?こういうの見るの」
「・・・厭っていうか、生々しいっていうか、良い気持ちはしませんけど」
「あはは、そうでしょうねぇ。
だってこれは、僕が彼の所有であることの、証だものねぇ」
「っ・・・」
「言葉にされると余計に傷付くかい?自業自得でしょうに」
今度は一気に吸い上げる。ずずず、と、空気と水が同時に啜られる、汚い音がした。
「君は、誰かとセックスしたこと、無いの?」
「な、」
急に赤面する若人に、思わず含み笑いを零してしまう。
ああ若いなぁ。
「綺麗だね」
「何がっすか」
「世界が、だよ。君の見てる世界、君の見てきた世界、君が地に足を付けている世界、が」
「・・・」
「良く解らないかい?何れ解るさ。生きていれば」
溶けて角の取れた氷を2つ、頬張る。
小気味良い音に、気分が良くなる。
「早く知りたいのなら、誰かの首筋に鬱血痕でも作っておいで」
僕と彼を隔てているテーブルに、体重を掛けて、彼の方に身を乗り出す。
「、何すか」
「しぃー」
小さく人差し指を彼の唇の前に立てる。莫迦な狗は、大人しく息を詰める。
僕は立てた人差し指を、そのまま彼の顎へ、静かにスライドさせた。
氷が一つ、歯にぶつかった音がした。
僕の口内には氷が一つだけ。
無論、噛み砕いた訳では、無い。
「―・・・!」
「反応おっそ」
舌から唾液が垂れるのも気にせず、あかんべーをする。
「あ!まさかのまさかだけどファーストキスとか?だったら最高傑作だよねぇ、ひひひ」
最後にもう一度啄む様な可愛らしい口付けをして、テーブルから飛び降りる。
時計を見れば、とうに夕刻を過ぎていた。
「ああ、もういかなくちゃ。眠り王子が目を覚ます」
目覚めのキスは、今のみたいな子供遊びじゃあ済みやしないだろう。
「じゃあ、またあとでね、童貞狗君」
「スマイル」
「なあに」
「いつか狼に喰われますよ」
今彼が睨み付けているのは、鬱血痕ではなく、僕だった。
長い前髪に隠された紅目が、貪欲に光っている。ように見えた。気がした。
「・・・あはん。高くつくよ」
僕は仕返しとばかりに極上に妖艶で気持ち悪い笑みを浮かべて、
彼をねっとりと見据えてから、リビングを後にした。
fin.