ミルクセゐキ



麗らかなる月夜の晩。いつもの定位置(緋色の二人掛けソファ)に背を丸めて腰を据える。
丁度手に収まる程度のサイズの茶色く透明な瓶から、
ざららららと大量としか云えない分量の白い錠剤を直接口の中に流し入れた。
唾液で糖衣が溶けて、中身の味が口いっぱいに広がる。
そのまま白湯も含まずにぼりぼりと噛み砕いた。
量が量なので、何度噛めども錠剤は減ったように感じられない。
薬の名前も効能すらも良く読まずに飲んだのだけれど、それはビオフェルミン錠の味に酷く似ていた。
もしかしたら本当にビオフェルミン錠だったのかも知れない。
が、生憎瓶に貼ってあった説明文の書かれたラベルは、
インクが埃やら空気やら時間やらの性為で掠れて何一つ読みとることは出来なかった。
この分じゃあきっと消費期限なんて数十年前だろう。

ぼりぼり
ぼりぼり

「タブレットか?」
「いいや、呑む方」
「一日何回何錠?」
「一日呑みたくなった回手元にある錠!」
「死ぬ気か」
「一瓶で致死量に至る市販薬品がそうそうあると思ってるのかい」

饒舌に喋れる程度に嚥下したものの舌と奥歯と歯間に残留する粉っぽい残り粕を
口内に薬指を突っ込んで綺麗に舐め取る。

「汚い」
「君の下のそれを舐めるよりは余程清潔だよ」

今の僕は愛しい彼の言動にさえ苛立ちを覚える程に虫の居所が悪かった。

「僕は君に噛み砕かれたいな」
「何を、」
「嘘だよ。痛いのは、嫌いなんだ」

彼はあからさまに、嘘を付け、と云わんばかりに眉根を寄せた。
僕は構わず瓶の底に僅かばかり残っていた錠剤達を、瓶の口に噛み付くようにして口に咥えて
咽喉の奥に直に落とした。
咽喉の粘膜は一瞬遺物と思しき其れらを受け止め、戻そうとするが
僕の紅い舌は其れを嚥下と云う行為によって半ばば強制的に食堂にやるよう促す。
ごくり。唸る咽喉。

「薬中め」
「お褒めの言葉有難う」
「依存症」
「君にね」
「道化師」
「君がね」
「マゾヒスト」
「……それは違うと思うけどなァ」

幾分機嫌の良くなった僕を見計らってか、彼はソファの背に僕の肩を縫い付けた。
僕の手から零れ落ちた薬瓶が床にごろりと転がる。

「試してやろうか?」
「丁重にお断りしたいんですけど」
「遠慮するな」

如何云う訳か今日の吸血鬼殿は僕とは正反対にえらく上機嫌らしく、
黒い笑みを深めて僕の首筋に舌を這わし始める。
と、不意に鼻を突く、馨しい未分解のアセトアルデヒドの香、が。

(アル中め!)

そう言葉を発そうとした咽喉は、しかし違う用途で震わされた。

「っぁ……」
「ほら見ろ」

噛まれたのだ。首筋を。
ぞ、わ、

歓喜に震えた体躯に忌々しげに舌を打って、黒装束の胸板を力任せに押し返す。
さして深い処までする気も無かったのか、或いは漏れた嬌声に満足したのか
彼は気持ち悪い程大人しく僕の上から退いた。

「変態。僕がマゾヒストである以前に、君がサディストなんじゃあ無いの」
「何を今更!」

おどけた様な動作をし乍も、傍に在ったチェストの引き出しから赤ワインの瓶を取り出す。
アル中、見たり。

(この城は何時の間にアルコール屋敷に?)

僕は未だ痛みと快楽の疼く傷口に手を添えて
嬉々としてその自慢の万用爪でコルク蓋を抜く彼の背に言葉を投げつける。

「そのワイン、中身違うと思うけど」
「は」
「開けて御覧よ。匂いで判るでしょう」

恐らく、泥酔している所為で、瓶越しの見た目では気付かなかったのだろう。
その、ワインにしては余りに紅過ぎて、どろりとした液体に。

小気味良い音をたててコルク蓋を抜いた彼は、解放された芳香に漸く気付く。

「…………………………………何時の間にこんなもの?」
「いやぁ、昨日作業中にうっかり肘から下裁断しちゃってさぁ、
部屋汚れるの厭だったから、偶々あった其れに入れといたのよ」

云いつつ、未だ手首から先が生えていない、包帯に包まれた左の細腕を擡げる。
爪の先まで元通りになるには、あと二日ほど要するであろう。
不便なものだ。

「何の作業をしたら腕が切り落とされるんだ」
「唐突にミルクセーキが飲みたくなってね」
「其れは包丁使わないのでは」
「包丁とボウルが同じ引き出しに有ったんだもの」
「さいですか」
「さいです」

しかし適当に会話しつつも、彼の爛々と輝く紅眼は瓶の中身にしか注がれていなかった。
厭な予感。

「昨日、ということは、未だ新鮮という言葉の範疇だな」
「そうだね」
「折が良くも、最近どうも空腹でな」
「へぇ」
「お前のは、旨い」
「知ってるよ」

此方を窺う彼の眼は、まるでスパゲッティの皿を舐めようとして母親の顔を見る子供のように無邪気だった。

「飲んで、良いよな?」
「厭だよ。君其れ飲むと発情するから」

最後の台詞は、云う迄も無く無視された。

ごくり
ごくり

(いっそ満腹になって寝てしまえば良いのに。
そしたら、その黒い腹掻っ捌いて石詰めて川に沈めてやるの、に)

「御馳走様」

何処から出てきたのだろう真白いハンカチーフで丁寧に口元を拭う吸血鬼。
吸血?否、其れは、語弊。

「血液中毒!」
「うん?呼んだか?」

実にさり気無い動作で、ソファの背に躯を押し付けられる。
数分前のデジャアヴュウ、が。

「これ以上飲んだら厭だよ。今凄い貧血なんだから」
「血はもう飲まんよ」

じゃあ何を飲むんだ、とは流石に訊かなかった。
まともに答えを突き付けられるのを、恐れたのだ。



(ミルクセーキみたい)


思ったのは、僕の脳内が白濁の世界に飛んだ時。
思ったのは、彼の真紅の咽喉が、白濁に塗られた時。
















そんな苦くて臭いミルクセーキ飲んでたまるものですか。










fin.




























以下言い訳。

霧生様より、キリバンリクエストです。
ご本人様のみ、お持ち帰り可能。
題名がどう見ても某電波バンドの曲名から来てるんじゃね?とかは、ご愛敬。
どうか甘んじてやって下さい。出来心です。
詳細指定が無しとのことでしたので、好き勝手に書かせて戴きました。
なんかもう色々救いよう無い程度に散々ですが、受け取って下されば幸い。です。
キリ番申請、有難う御座いました。