逆ニヒリズム



彼の部屋はまるで、子供部屋だ。
しかしそれはあくまで、まるで、であって、子供部屋のそれそのものでは、無い。
所狭しと並べられたアニメの大小様々なプラモデル。
床や寝台に転がる、大きなぬいぐるみ。
読み散らかして開き放しの本。
ゴミ箱に詰め込まれた、スナック菓子の空き袋やジュースパックや、
絵でも描いたのだろうか、大量の紙屑。
窓際に置かれた鉢植えに咲くのは、どう云う訳か、一輪の蒲公英。

(この部屋は、歪んでいる)

窓辺から何時もの様に不法侵入を果たした幽霊紳士は、
床に散乱した玩具や人形を踏み潰さぬよう足元に注意を払いつつ、部屋の主の休む寝台へ足を運ぶ。

(部屋、否、砦、か)

寝台を囲む様に渦高く積まれた、厚さも縦幅も異なる本の背表紙に目を遣る。
童話、神話、児童書等の中に、《子供部屋》には似つかわしく無い著者を見た。

(エドワード・ゴーリー、グレッグ・イーガン、フリードリヒ・ニーチェ、エトセトラエトセトラ…)

何時からそんな思考を好むようになったのだろうか。
危険思想では無いがしかし、些か一般的で無い気もする。
第一人の趣向の批判を出来る程、私も真っ当な思考回路は持ち合わせてはいない。

「貴方はシュレディンガーの猫にでもなるおつもりですか?
それとも白の女王になりすました子猫のスノーホワイト?」

寝台の上で、それこそ猫の様に躯を丸めてシーツにくるまるその人に問い掛けるも、
狸寝入りを決め込んだ彼は無論何も云わない。
此方に背を向けている為、何とも云えないが、
恐らくそのワインレッドの碧眼はしっかと見開かれ、無機質な壁を見詰めているのだろう。

「何をいじけていらっしゃるのですか?」
「ユーリにでもフられましたか?」
「何か無くし物でも?」
「何とかZやらの録画でもし忘れましたか?」
「………ギャンブラーZだよ。良い加減覚えたら?それともあれかい、
とうの昔に時を止めた脳細胞が腐り始めたのかい?」
「…寝起きの割には随分と、饒舌じゃあないですか」
「寝てないよ。気づいてた癖に。この道化紳士」
「お褒めに預かりどうも」

相当、虫の居所が宜しくないようであった。
一歩踏み出すと、靴の下でぱきんとプラスチックの砕ける音がした。

(首が無い)

見下ろした足下に砕け散っている、黄や赤のプラスチック片と、胴体と思しき物体。
そこにあったであろうものは、砕けたのか、或いは飛ばされたのか、定位置に存在していなかった。

「良いよ、元々だから。僕が投げつけたんだ」
「スマイル、」
「ねえ紳士、キセルか葉巻持ってない?」
「ご自分のお煙草は?」
「お菓子じゃ厭なんだ。ね、無い?」
「生憎今宵は。入り用でしたら明日にでも献上しに上がりますよ」
「じゃあそうして。それで、今日は、帰って頂戴」

青ざめた(何時ものことだ)骨々しい腕が一本、シーツから生えてきた。
起きるのか、と思えば、カップボードの上の眠剤を数錠引っ掴んで、
またシーツの揺り籠に帰ってしまった。

「夢を、見たいんだ。飛びきりメルヘンな御伽噺(メルヘン)の夢を」
「ならルイス・キャロルでも読めば宜しいでしょうに」
「じゃあそれも明日の手土産ね」

近付こうとした足は、足元に引かれた見えない線に、阻まれた。

「スマイル」
「帰って。もう直ぐユーリが帰って来るから」
「…スマイル、」
「来てくれて有難う。嬉しいよ。また明日ね」
「スマ…」
「ああ、ほら、廊下に足音が響いてる。彼の。左様なら、黒紳士様」
「…………左様なら。良い夢を、スマイル」




外から律儀にガラス窓を閉めて、私は部屋を振り返る事無く、虚空に舞う。
視界に入れたら最後、彼の細首を絞めてしまうかも知れなかったからだ。

「可哀想な子だ」

城のシルエットしか見えなくなった地点でやっと、身を翻して振り返る。
巨大な城に灯る灯りは、先程まで足を置いていた、彼の部屋の小さな淡いサイドランプだけ。
廊下も、大広間も、灯りは灯っていない。
この、百数年、ずっと。

(ユーリは、未だ、起きない。最早死んでいるのでは無かろうか)

黒く聳え建つ古城に背を向け、躯を宙に溶かす。透き通る、私の躯。


(明日は、キセルと、ルイスと、安楽椅子を、)







fin.