みんなおぼろげ








夜空に朧月が一つ。
お城の灯りは一つ。
お城に存在する目も、一つ。
城主ときたら僕独り置いてけぼりにして、白い羽の少女と夜空のランデヴーに繰り出してしまった。

(空を歩けるからって、余りの仕打ちじゃあないか、ロリコンめ)

仕方が無いので僕は不貞寝を決め込んでいた。
城主の寝台で。

(天使はこの香りに包まれたことなんて無いだろう!)

僅かな優越感を覚えるも束の間、僕の汚い思考は、
その天使が今この香りの主に抱き締められていたら、という汚い妄想を抱く。

(まさか、有り得ない、だって彼は)

薔薇の薫る真っ黒いシーツに躯を沈める。
浮かび上がるのは、気味の悪、い、青色。
こんな気味悪い躯、誰が愛せよう。まして孤高の吸血鬼様、なんて、

じわり

沁みたのは、零れた塩水か、心の病みか。
いっそ塩水なら、傷に沁みて僕一人が痛い目見るだけで済んだのだろう、に。
心の病みは、いつも余計なものばかり呼び寄せる。
例えば、何時ぞやの、声。

「っ……」

脳裏に突如浮かび上がった彼のテノールの囁き、と、冷たい手がこの青い躯を包む感触。
狂って歪んだ視界に映る、厭らしい笑い、が。

ぞわり

背を走るそれに、自分を叱咤して耐えようとした。
だってここは、彼の寝台。

(帰って来たらなんて嘲られるか)

それもまた心地悦い気もしたが。

耳元で生々しい記憶が囁く台詞が、少しずつ僕の抑制を微塵に切り刻んでゆくのが解る。
もう既に、思考回路はまともで無い方へ繋ぎ直されていた。
ほら、と幻覚に嗤われてシーツの中の掌を見れば、耐え切れずに滲み出した白濁が見えた。

「うわ、ぁ…」

やってしまった、と内心で舌打ちしたころには
もうシーツが汚れるとかそんなことは如何でも良くなっていて、
僕の手は闇雲に快を求め始める。
しかし終わりはもう直ぐ其処に見えていて
僕は背を丸めてシーツをすっぽり被ったまま、ちり紙を探す暇も無く、吐き出す。

「く、…ふっ」

出来うる限り声を殺して(だってもし窓の外に彼がいたら、)、骨々しい掌の器にぶちまけた。
余韻の波は、素気無い程直ぐに退いてしまう。
それはまるで鬱血のように。

(ちり紙……)

もぞりとシーツから這い出て、唖然。







「御機嫌良う、スマイル」








流石の僕も、これには血の気を失った。


「………………………………何でいるの、さ」
「さあ、何ででしょうね?ああ、別に夜空を彷徨っていたら可愛らしい啼き声が聞こえた、
なんて訳では有りませんが」
「…………………………」
「因みに申し上げるならば、ユーリは白い小鳥と雲の中でお戯れなさっていましたが」

不倫?いえいえ、ロリコンです。
電波な思考が、僕の崩壊を阻止した。

「それにしてもスマイル、貴方ユーリの寝室で何をなさっていらっしゃったので?」

紳士の白い手袋が差したのは、悪臭を放つ白濁、
の、滲みたシーツ。

(しまった)

さっき吃驚した拍子に、零したのだろう。
否、そもそもこの小さな器に収まる量だったか。

「………で、何。貴方は、僕の痴態を知って、ユーリにばらして嘲笑う訳?」
「まさか、私がそんな風に貴方を辱めるとでもお思いで?」

道化師が微笑んだ。
歪む半仮面。

ぞくり

悪い予感は、当たる為に在る。




「横にお成りなさい。うつ伏せで」
「厭だよ、ここユーリのベッドだもの」

じゃあ僕の寝台なら良いと云う訳では断じて無い。
あくまでも抵抗の云い訳に過ぎない。のに。

「おや、では私の屋敷までお連れしましょうか?」

紳士は僕の思考を読み取ったのか、僕の寝室と云う一番近い選択肢を飛ばした。
何と云う道化。

「鳥渡、鬼畜紳士、本気な訳?」
「何のことやら私にはさっぱり」
「恍ける位、なら帰ってよ。総て忘れてね」
「ふ、む」

思案する風に白手袋に包まれた綺麗な手を顎に当てるけれど、
僕は知っている、彼には思案の必要なんて無い、既に総ての計画が整えられていることを。

「………では後日、我が人形屋敷へ、ご招待させて戴くことにしましょう」
「は、?」

(後日?何を考えてこの変態紳士)

「おやご機嫌如何ですか、ユーリ」
「え」

振り向けばそこに、ならぬ、背後に

「やあジズ殿、こんな夜更けに如何されたのかね」
「いえ、スマイルが退屈なさっておられたので、お喋りのお相手をさせて戴いておりましてね。
しかし、城主様がいらっしゃったのならば私は邪魔者、すぐに退散致しましょう」
「ワインの一杯でも?」
「嬉しいお誘いですが、今宵はこれにて。夜明けに客人もありますから」
「そうか」

(夜明、け、)

ぞぞぞ

その時仮面の下の見えない目が僕に微笑んだのが判った。判ってしまった。

「では、スマイル。愉しい夜を有難う。またの機会を、」

無駄無く優雅な物腰で跪いて、一瞬のうちに僕の手の甲に口付けを落とした。
その翻ったマントが床に落ちる頃には、彼の姿は虚空に混ざって目視不可能な程に溶けてしまっていた。


「…何かされたのか?」
「妬いてるの?ユーリ」
「まさか」

云いつつ、僕の隣に腰かけた彼は、先程紳士の唇が触れた手の甲に紅い舌を這わせていた。

そろり

それを彼の持つ溢れんばかりの独占欲の表現であることに気付いた僕は、心底安堵してしまった。のだ。
ああ何て安易な恋心。

「君こそ、小さい天使と何処までいったの」
「別に、私は幼女であれ熟女であれ、異性への興味等とうに失くしたよ」
「嘘おっしゃい、君何時から同性愛者になったの」
「お前とまぐわった時からだよ」
「何百年前だよ!」

豪語する間にも、僕の体は真っ黒なシーツに沈められていく。
そこではた、と気付く。
あの醜悪な白濁(今頃乾いてパリパリになっているであろう)の存在は、?
彼に其れと悟られないよう留意して、零した地点を横目で恐る恐る確認した。
そこに、は、

(……………糞紳士、これも取引の題材にするつもりだ)

白い池、ならぬ、白い薔薇、が。

「どうした?」

呆れた僕に気付いた彼が訝しげに僕の目線を辿る。
純白の薔薇を見て、感想。

「似合わないな、」
「何が?」
「奴だろう?それ、」
「あ、うん。みたいだね」
「奴に白薔薇なんて不似合いだ。大体深紅か蒼だろう」
「蒼薔薇なんて存在しないよ、ユーリ」
「メルヘンだからな」
「うんそうだね、メルヒェンだね」


もういいから、さあ、続き、して?



















幽霊は朝陽の中で存在しえないなんて、誰がでっち上げたのだろう。
紳士は今日も、元気でした。



















おわり。