堕胎



「カミサマカミサマ」
「何だよ」
「お一つ質問食されない?」
「よしじゃあ一つだけ喰ってやろう。云ってみ」

今日はこなすべき職務が少ないのか、機嫌が斜めになること無く水平に保たれた神様は
僕の隻眼の更に奥の視神経をレンズ越しに見つめ乍、そう仰った。

「あのねぇ」
「うん」
「僕ねぇ」
「うん」
「ずっと、気になってたんだけど、ねぇ」
「うん」
「…聞いてる?」
「聞いてるよ。つかお前こそ話す気あんの?
誰もがお前みたいに焦らしプレイに悦ぶ人種だと思うなよ」

まるで人を変態のように云って、神様はペンを親指と中指の間でくるりと躍らされた。
流石に神様ともなると、誰でも出来る些細な動作でさえ、格好良い。

(とは云え、ユーリの方が良いと、僕は思うのだけれどね)

嗚呼、何と云う惚気。

「で、話は何だっけ?」
「質問、食べなくて良いのかよ」
「嗚呼、そうそう、其れだ」

ぴ、と今朝ユーリに塗って貰った黒い爪で神様の額を指差す。
神様は案の定其れを厭だと思ったのだろう、至極さり気無い動作で僕の指先にご自分の指先を合わせて仰った。

「ET」
「話逸らさないでよ、神様。何云おうとしてたか忘れちゃうじゃあ無いの」
「さっき忘れてたろ」
「気の所為だよ」
「へぇ、そう」

僕は仰々しく大きく一息付いて、蒼くて白い指の先で黒鍵の様に黒光りする爪に舌を這わせながら云った。



「僕は/如何やって/この世界に/産み落とされた/の?」



此れには、創造主たる神様も、閉口されたらしい。
眼球の動きすら殆ど見えないサングラスの向こうで、然し瞳孔が細められたのが、見えた。様な気がした。
別に、返答に困ったわけでは無いのだろう。
神様は、全てを作り給うた故に、総てを知っていらっしゃる。
けれど、知っているからこそ、僕等下等生物に教えてはならないことも、山と有る。
教えても、箱庭を平和に保つことに支障が出ないレヴェルの解答を、神様は今、探していらっしゃるのだろう。
彼の脳内の、宇宙の星々の様に犇めき合う情報達の中から。

「…あと何分ー?」
「インスタントラーメン作って来いよ。したらば答え揃えといてやる」
「長いね」
「うっせー眠いんだよ。誰かさんが朝夕構わず睡眠妨害に来るから」

(嘘。眠ったことなんて、数千年以上前の休息日だけの癖に)

結局僕は、親指と中指の間でペンを躍らせる練習をして、三分と少し潰した。
無論、出来るようになりはしなかったけれど。
この忌々しく細い指ときたら、弦とは仲良い癖に、文字を書くのに使う道具は無差別に嫌うらしい。


「三分経ってよ。カミサマ」
「あ、マジで?」

どうやら、我が世界の神様は相当の焦らしプレイ好きのよう。
僕が三十と二回という極めてキリの良い数だけペンを落とし、漸く諦めて振り向くと
有ろうことか神様は、僕とお揃いに爪を黒く塗っていらした。

「それで、答えは用意出来たの?」
「お前ね、俺を何だと思ってるの」

器用に爪の端まで黒い液体を塗りながら神様は仰る。
然し流石にご尤もなお言葉、とはお世辞にも云えない僕は、
(だって人を待たせておきながら此の輩、爪を塗り乍三分も熟慮していた等とほざくのだ)

「じゃあ答えて見せて、よ」

述べるのは無論、真実しか許されない。

(果してこの僕よりも嘘に塗れた神様は、お答えになるだろうか?)

答えは、否
と云う訳でも無かった、が


「お前はね、俺の腹から降ろされたの」

何を云っているの、か、僕には宇宙語にしか聞こえなかった。

「地球語で喋って下さる?」
「や、だからさァ、この世の万物は大いなる父であり偉大なる母である俺が生み出した訳よ。
つまり比喩として俺を母体とした場合、お前は堕胎すべき忌み子であった」
「凄い突飛な比喩だね」
「然し正論、だろう?」

僕は神様の目を見ない。見えない目など見ない。
只黒く塗りつぶされていく爪を見つめている。
(つまり神様は話し乍も爪を塗ることを止めなかったということ)
神様は僕の目を見る。手元の爪など見ない。
敢えて感情を押し殺して何も無いように見せて、黒く塗られていく爪を見つめる僕の目を見つめている。
(つまり神様は手元を見ずとも爪など塗れて仕舞うということ)

「で、最終的な答えを頂戴」
「お前の質問:失敗作の透明人間は如何して生まれたのか。
俺の解答:胎盤から下ろした筈の忌み子は、生塵として棄てられて尚生き延びた」
「素晴らしい生命力だね。此れは生き延びよとの思し召しかしら」
「否、単に俺の始末の不手際だろ」
「浪漫を頂戴」
「残念ながら神は浪漫も希望も持たぬ現実主義なんで、ね」
「バイバイ。お邪魔しました」
「はいお邪魔されました」

爪を塗り終わった神様を見計らって、僕は席を下がらせて戴く。
はて、そもそも、僕は如何様な目的を持って此処に来たのであったろう、か。

(嗚呼、そうだ、見捨てられぬ為に、来たのだ)

僕の存在を、忘れて貰われぬように。
僕と云う彼にとっては忌々しき失敗作が生存していることを知らしめる為に。
人を愛せぬ神様に、せめて人で無き僕が愛されて差し上げる為に。
虚飾はその程度が、妥当だろう。

「カミサマ」
「はいな」
「次の手土産何が宜しい?」
「お前の生首」
「御意」

にっこりと邪気のjの字も無い笑顔で了解して、僕は神の爪に口付けた。
残念ながらもう其れは乾ききっていて、僕の唇に黒いそれが付着することは無かった。

「じゃあ、またね」
「そんだけ?」
「うん、其れだけ」
「ちゅーしてやろうか?」
「うん」
「嘘」
「知ってたよ」
「何だ、つまらん」
「バイバイ」
「バァイ」



さて、自分の首を持って神様に謁見の間に馳せ参ずる為には如何したら良いだろう?




fin.