ニコチン
鼻を突く、嗅ぎ慣れた、紫煙の香り。
「・・・・・・。」
目を開けようとするけれど、瞼が重すぎて
あるいは気力が無くて、叶わない。
と、不意に唇に柔らかいモノが触れた。
微妙に開きかけだった唇から、思いがけず
流れ込んできたのは、煙たい副流煙。
突然のことに、上手く対応出来ず
咽込んでしまう。
「っ・・・く、ふっ・・・」
驚きと困惑によって開いた隻眼に、人影が映る。
目覚めたばかりでぼやける視界の中
何とかおぼろげな輪郭を捉える。
「―ユー・・・・リ・・・?」
煙の中で霞む、吸血鬼の姿。
白のYシャツ紅いリボン、という極めて簡易で
でも綺麗に見える服装。
リボンと同じ色の瞳。
何と無く見とれていると、彼は手にしていた煙草を口元へやって
「随分、眠っていたな。」
「・・・何、心配してくれてたの?」
「あと一時間遅かったら、生き埋めにしていた。」
「酷いなぁ・・・。」
僕は苦笑しながら呟く。
「貴様が悪い。」
そう云って灰皿に手を伸ばすユーリ。
ベッド落としてくれないことを願う。
否、今はそんな事は如何でも良い。
問題なのは、彼に喫煙がばれた事だ。
僕の思考に気がついたのか、灰皿に煙草を押し付けたユーリが、
その端麗な顔に冷笑を浮かべた。
「・・・禁煙宣言したのは、何時だ?」
「・・・・」
「三日前だ。」
「・・・・・」
「で、今日来て見れば、吸殻だらけの灰皿が一つ。」
「・・・・・・」
「何か云うことは?」
「ごめんなさい。」
目線を合わせずに謝ると、彼は「良い子だ。」と云って
まだ数本あるそれらを、手品みたいに手中に丸め込んで、握りつぶした。
次にその五指が開かれた時には、
はらはらと塵のようなものが舞い落ちていっただけ。
「結構高かったんだけどなァ・・・・」
「何か?」
「イエ、何モ。」
一言で言論を封じられ、反論は無駄であることを痛感させられる。
本当は、ニコチン依存者に其れは無いんじゃないの、とか
とてもとても云いたいのだけれど。
そんなこと云ったら何されるか分かったモンじゃないし。
恨めしそうにユーリの方を見やると、彼は小さなため息を吐いた。
「煙草は喉に悪い。いくら滅多に歌わないからといって、
そう痛めて良いものでは無い。」
「・・・そう云うユーリもさっき吸ってたじゃない。」
「一本だけだ。」
「マッチ一本火事の元。煙草一本依存の元。」
「五月蝿い。」
かったるそうに云って、組んでいた足を解いて立ち上がる。
一つ一つの動作が、妙に妖艶に感じられるのは、
彼が纏っている雰囲気の所為だろうか。
「とりあえず、私が許可するまで、喫煙は禁止。いいな?」
「ハイハイ。」
ドアノブに白い手がかかる。
「ね、ユーリ。」
「何だ。」
「口寂しいんだけど?」
半分は彼を少しでも引き止めるための冗談だったんだけど。
彼は僕の言葉に、はたと動きを止め、此方を向いた。
「如何しろ、と?」
「さぁ、ネ。」
「・・・まったく・・・・・」
ため息混じりに言葉を吐き、僕に近づく。
そして、起き上がる気力も無い僕の両脇に手をついて
覆いかぶさる形になる。
目を瞑れば、本日二回目の、柔らかな感触。
「ん・・・・・・」
触れたのは一瞬で、すぐに離れる唇。
素っ気無いなァ・・・。
「これで気が済んだだろう。」
「えー。」
「今は忙しいんだ。後にしてくれ。」
子供をあやすように僕の頭をぽんと叩いて、
彼は部屋から出て行ってしまった。
つまらない。
「後って何時だよぅ・・・・。」
いじけたような呟きは、無機質なドアに跳ね返されて
彼の耳には届かなかった。
fin.