恋噺
幽霊屋敷のベランダに置かれた、洒落たアンティーク調の椅子に座って
これまた大人しい、しかし見事な装飾のカップで香しく透き通った紅茶を堪能する。
外に目をやれば、今日という日の暖かさの性為か、もう白い野花がぽつりぽつりと、緑の中に咲き出してていた。
「こうしてここでお茶を飲むのも、随分と久しいねぇ」
花は咲けども未だ冷たさの残る風に冷やされた体の中を、紅茶の温度が心地良く滑り落ちる。
椅子とセットであろう硝子テーブルの向かいでは、真っ黒な紳士が優雅に、
嫌味な程整って長い脚を組んで紅茶を嗜んでいる。
「えぇ、本当に」
心底嬉し気に双眸を細める紳士。
僕もそれに釣られて頬を緩める。
何年経っても、この男の居心地の良い温かさは全く変わる気配がない。そう実感させられた。
「どうですか、城は」
「うん。とても、良いよ。薔薇色だね」
「それはまた羨ましくも微笑ましい限りですねぇ」
敢えて白々しく云った言葉ですら、きちんと真意を読んだ上で、
重ねて社交辞令宜しく上辺の笑みで返す紳士に、僕は思わず数百年前の暮らしを彷彿させてしまう。
(未だ駄目だなぁ)
自嘲を紅茶と共に喉に流してしまってから、此方からも問いを与える。
「貴方は、如何?訊くまでも無さそうだけど」
「そう、ですね。貴方と居たときより幾分、愛されてるという実感は有りますよ」
「あはは、それは良かった。あのときより不幸せなんて云われたら、縒りを戻そうかと思ってた」
「おや、それはそれで光栄の賜りですが」
「そうかい」
くすくすと含み笑いを漏らすと、彼もまた半分を仮面に覆われた面で優美に笑う。
「しかし、今が一番、貴方は気に入っていらっしゃる」
こればかりは流石、と云うしか無かろう。
温かさに併せて、察しの良さもさして鈍ることは無かったようだった。
「そうだねぇ。僕も君も。愛を享受する方が得意みたいだ」
「そのようで」
冷めてしまった紅茶のポットを手に紳士が立ち上がる。
キッチンに向かうのだろうかと思ったら、何時の間に呼んだのか、
可愛らしいドレスを纏った球体間接人形が二人、ポットを回収しに来ていた。
紳士はそれらにポットを預けると、再び淑やかに椅子に腰を落ち着ける。
「恐らくは、貴方も私も、愛と玩具に餓えていたのでしょう。お互い、鬱屈していた」
「上手いねぇ。玩具に餓えてたのは貴方だけでしょう。僕は玩具だったんだから」
「ご尤もで」
「あの頃は、若過ぎたんだ。若気の至りだよ」
「そんなことを仰って、満更でも無かった癖に」
「うん、そう、満更じゃあ無かった。というか僕は今でも貴方のことを愛しているのだけれどね」
そしてあの時分は、貴方だけを芯から愛していたのだけれど。
最後の一口を、茶葉を残して飲み終えたところで、丁度暖めたポットを抱えた人形達が戻ってきた。
礼を述べて紳士はそれを受け取り、僕と彼のカップに注ぐ。
冷えた空に白んだ湯気が二本、ジョンズワートのほんのり苦味を含んだ香りを湛えて立ち上り
頭上で混ざって透けて無くなった。
「でも君が愛したのは、僕だけじゃあ無かったから」
「・・・それは、申し訳無いと、思っていますよ。元はと云えば貴方をこの腕から失ったこと自体、
私自身の実態でしょう」
「欺瞞だね」
「しかし誠意ですよ。私とて、当初貴方を失うことに絶望を隠し切れなかった」
「へぇ」
猫舌に沁みる未だ熱い紅茶を含んで、舌で転がす。
淹れ立ての茶葉が適度に鼻腔を擽る。
「まぁ、良いんじゃないの、何百年も前の恋噺なんて。今互いに愛される身としては」
「おや、これはまた随分と珍しく前向きな発言をなさる」
「あは、今はとても気分が良いんだよ」
きっとこの紅茶の性為だろうと毒付いて、僕達は春の陽気が香り始めた午後を笑った。
「ねぇジズ、幸せ?」
「貴方は?」
「何を今更」
「仰る通りで」
「君も今更、だね」
「云わずとも、でしょう」
「そう、じゃあ、この度は素敵なお茶会にお招き戴いて有難う。またね」
「此方こそ、このような楽しき時を頂戴しまして至福で御座います。またのお越しを心よりお待ちしております」
落日と共に、黒いアラベスク模様の扉門がきぃ、と音を立てて閉められた。
僕は無駄に軽い足取りで城への帰路についた。
fin.