首の無い美術館



如何云う訳か、美術館に赴いた。
分厚い雲が頭上を埋め尽くした、それは木曜日だった。

「独りで行くものじゃあないの?こういうのって」
「お嫌いですか?貴方の趣向に合わせたつもりなのですが」

しかも、同行者ときたら、この暗雲を更に色濃くしたような紳士だった。
いつもより控え目な服装を選んでくれたのは唯一の幸か。
黒尽くめの装いなのに、どうやってか知らん目立つのは、矢張り仮面という奇異な出で立ちの性為なのだろう。

「ほら、其れですよ」

手袋に包まれた指先が指し示すは、至って普通の、古びた美術館。
見事な装飾は、されどそれを装飾した人々の子孫らが生み出した産物であるところの酸性雨によって、
無残にもどろりと溶け垂れていた。

「僕、写実より印象の方が好きだよ」
「此処は写実が殆どですが、まぁそれでも、貴方は気に入るでしょうよ」

心底からそう思っているらしく、嬉しそうに満面の笑みで僕の苦い顔を一蹴して、
紳士はエスコートするように僕の手を自分の腕に絡めさせる。
不運なことに、その日の僕の服装は、彼の服に良く馴染む色合いの、
ユニセックスの服装だったので、何処から如何見ても、些か髪の短めの女性でしかなかった。
ましてコルセット、なんて。

「可愛らしくて、実に宜しいと思うのですが」
「なら君とユーリ、とても趣味が合うと思うよ。変態同士」
「ユーリがこれらを?」
「一応厭だって云ったんだけど、聞く耳持たなかった」

彼らしい、と紳士は淑やかに苦笑を浮かべた。

「さて、ではお先にお入り下さいませ、お嬢様」

触らずうちに、す、と扉が内側に開いた。
ホーンテッドマンションならぬ、ホーンテッドミュージアムか。

「何でお嬢様なの」
「偶には、宜しいでしょう?こういうのも。ローマの休日の様で」
「君の脳味噌は、本当に腐ってるのね」
「デッドリビングですから」
「じゃあそのまま土に埋まっとけ」

おや怖いですね。
おどけた風に云いつつ、扉を閉める。
しぃん、静まる回廊。

至って普通の、ありがち過ぎて欠伸の出る美術館だった。
僕らにとっては。

「久々に、普通の美術館に来た気がする」
「そうでしょう、ね。最近はめっきり減りましたから」

絵から絵へ、視線を移し、軽く移動しながら視覚情報を吸収する。
「中々、辿り着けないんだよねぇ、こういうとこに」
「そうですか、私は割と、出会しますが」

それは君が僕より常軌を逸しているからだよ、
と云いかけて、彼には云う意味等無いな、と思い留まった。

「じゃあここ最近僕が入れなかったのは、環境じゃあなくて、僕が馴染みすぎた性為?」
「恐らくはそうでしょうね。楽団活動のし過ぎなのでは?」
「あはは、じゃあ狗君なんかは一生見つけられっこ無いなぁ、此処なんか」

一枚の絵を見据えて、誰の絵だろう、と思った処でようやっと気づく。
作家名が、何処にもないのだ。
署名も、見当たらない。
僕は率直に尋ねた。

「誰の絵?」
「さぁ、誰のでしょうね。名前すら持たざる者こそ真の筆を持つとでも、云いましょうか」
「君の言葉遊びは解りにくいから苦手なんだけど」
「なら解らずとも、良いでしょう。知らざれど、絵は楽しめますから」

正論だ。

延々と続く、文字通り終わりの見えない回廊に、二人分の足音だけが、かつんかつんと響く。

ふと、目をくれた絵を見て訝しむ。

「これ、見たね」
「おや、ではここでおしまいですね」

これだから回廊式の美術館は好きじゃあ無いのだ。
記憶力が低いと、一生さ迷う羽目に陥る。
危ない処だった。

「さて、帰りましょうか」
「うん」

紳士がまたも手を触れずに開けた扉を潜り、外界に足を踏み出す。
振り返ると、出入り口の目印でもあろう絵が、こちらに向かって微笑みかけている。
否、しかしそれは錯覚。
笑う部位など持たないからだ。
そしてそれは、この美術館の有する総ての絵に共通する事項だった。
表情が判らない。
それは紳士も同じだ、が。
彼には首が有る。
彼らには首が無い。
それだけのことだ。

「城までお送り致しましょう」
「お願いするよ。流石の僕も、この格好で街中歩いて神様にでも合ったら、
それこそ自分の首をはねたくなるから」
「おやおや、それは恐ろしいですね」

紳士は、素晴らしい、を、恐ろしい、にすり替えて云った。
のが判った。

「では、しっかりお捕まり遊ばせ、お嬢様」

彼らの首の色と同じ真紅の羽飾りが一枚、餞別と云わんばかりに、扉の前に抜け落ちた。




「また見に来れるかしら」
「貴方お一人では、難しいでしょうね。ユーリをお連れしたらば、解りませんが」
「じゃあ、そうするよ」

だって彼は、君より常軌を逸しているのだから。









「おや、早かったな。喰われなかったのか?」
「……………いっそ君が一度喰われればいいと、思うよ」


変態同士、仲良く共喰いしてくれ。








fin.