生き人形




城主は、居ない。懲りずに天使とデートに出掛けた。
如何やら此処の処、放置プレイがお気に召したらしく、滅多に自ら触れてくれはしない。
代わりに、自分の部屋の鍵を開け放したまま出掛けて行く。
仕方ないので、僕は彼の意向通り、その部屋で一人
彼の匂いの香るシーツを抱きしめて眠る。或いは行為に耽る。
嬌声を聞きつけた変態紳士が、文字通り音も無く現れては僕を組み敷く。彼の代替品のように。

(まるで数百年前の其れの写鏡だ)

懐かしい死者の香りに喘ぎながら、僕は何度も吐精する。
時折彼の、仮面をしていない方の横顔を、或いは俯いた時の銀の前髪に、彼を見る。
絶頂の時などは大抵僕は躯をそらせて天を仰ぐか、
後ろから突かれて、吸血鬼の匂いの枕に深く顔を埋めているので、尚更錯覚して仕舞う。

(この人は、彼じゃ、ない、解ってる。判ってる。分ってる、んだ、よ)

余韻による白濁色の意識の中で、腕を伸ばせば、細く長い腕が抱き締めて、口付けて来る。
恐らくは、彼もまた、彼に吸血鬼を重ねる僕と同じ様に、今の僕に、
昔の僕を重ねて感傷に浸っているのだろう、と思った。

「哀れ、ですね」
「…なァに、が」
「いっそ、人形に成れば、苦しまずにいられましょうに。
与えられる愛だけで満足し、欲さなくとも済むでありましょう、に」
「君は、僕に戻って欲しいだけ、でしょう。屋敷に。人形、に」

彼の広く薄い胸に抱かれ乍、如何にも愛しげに、額や頬に口付けられ乍、僕は無表情で云う。
彼が、毎夜僕を昔の幻影に見立て乍抱く所為で、
僕も昔彼に所有されていた時の様に、作り笑いもせず無愛想な対応になるのだ。
第一、彼は僕の、あの肩を揺らして顔いっぱいに笑みを浮かべて笑う其れを、
とても嫌がっていた。
其れが、ユーリの所為だ、と云う事が尚彼に嫌悪感を与えるらしい。

「屋敷へ戻って下されば、貴方はもうあのように笑わなくても良いし、
棄てられる心配も無いのです、よ」
「……じゃあ、彼に棄てられたら君の処に行ってあげるよ」
「棄てられることが万死に値するのは、其れを何より恐怖する貴方のこと、
御存じと思っておりました、が?」

此の件の台詞は、毎度彼が僕を誘う時の決まり文句と化していた。
とみに、最近僕が放置され過ぎて吸血鬼に棄てられることを殊更恐怖し始めている、
ということに気付いてのことだろう。

返答する気も失せて黙り込んだ僕に堪えかねたのであろう紳士は、
僕の肩口、もとい枕にその顔を埋めこんで、独り言の様に呟いた。

「如何したら、戻ってきて下さるのですか」

その言葉は、何故か酷く苦しげに聞こえた。
空耳だろうか、明日耳鼻科に行ってみようかしら、と思いつつ、
未だ僕を抱き締めた儘の彼を横目で見やれば、その瞳、は

(うそ、だ)

泣いていた。紳士ともあろう者、が。

「ジズ…?」

僅かにいぶかしむ声で呼べば、その瞳は然し、
何時もの様に何の感情も湛えない、陶器人形の眼球の様な冷たいモノでしか無かった。

「彼に棄てられればいらして下さるのならば、私は如何様な手法も惜しみませんよ。
嘘八百吹き込むなり、融かして殺すなり、懐柔するなり、何なりと、ね」
「…貴方はそんなにも僕に、嫌われたいの?」

僕の言葉に一瞬顔を引き攣らせるも、二瞬目には此方が吐き気を催しそうな程に
恍惚とした目で、如何にも優しげに微笑んだ。

「滅相も無い。ただ、貴方を愛するが故のことですよ」
「彼が死んだら、冗談無く僕は生きる屍になるよ」
「好都合。其の儘ドレスを着せて連れ帰りましょう」
「もう一遍死んでおいで」

おお怖い、と彼はおどけて、漸く僕の体から腕を解く。
否、正確に述べるならば、戒めていた腕ごと透けた、と云うべきだろう。

「バイバイ?」
「ええ、また次の機会に」
「そんなもの無いよ」
「さて、ね。其れは神のみぞ知るや?」

何時から幽霊は神を信じるようになったのだろう。
不気味なほどに安らかな笑みを浮かべて、紳士は虚空に融けていく。
どうやったらあのように多種類の笑い方を使い分けられるのか、偶に不思議に思って仕舞う。

(…多面相?)

或いは複数の仮面を瞬時に入れ替えているのかも知れない。
(然しそう仮定するならば、彼の顔は両方仮面ということになるのだろうか)

ふ、と、要らぬ思案に耽っていた僕は、気付く。

「っ……あの糞紳、士」

あろうことか。何時もはご丁寧にお得意の奇術で部屋を元通りにしていく、のに。

生臭い香り
皺だらけの寝具
飛散している白い液体
エトセト、ラ

さて、如何したものか。
恐らくは、不倫がバレれば少しでも早く棄てられよう、といった算段であろう。

(小賢し、い)

業とらしく舌を鳴らし、吐息。
仕方なくも、早々に片付けねば、と重たい腰をあげれば

「…っぁ」

ぬるり
吐かれた白濁、が

「嗚呼、もう、本当に嫌だ」

泣きそうになりながら、また一つ増えて仕舞ったシーツの染みを忌々しげに睨みつけて
ありとあらゆる排出物をシーツに包んで廃棄し始めた。















「また随分と、人の部屋で慰めたものだな」

開口一番、例の如く窓から帰宅した吸血鬼は、未だ気付かない。

「だって、寂しかったのだもの」

口を尖らせて子供の様に抗議する透明人間も、未だ気付いていない。
誰も、戸棚の飾り人形の数など、覚えてはいない。





「さて、生き人形は、誰でしょうね」







fin.