闇(病み)色人形師




「何故燃やすの」

夕食の後、紅茶かワインか、と問うた彼に尋ねた。
問い掛けには問い掛けで。脈絡なんて、僕等には無い。

「さぁ、何故でしょう?」
「当てたら何か貰えるのかい?」
「何が欲しいのですか?」

問い掛けには問い掛けで。終わりなど、僕等には無い。
と云う訳でも、無い。
終焉は平等に、皆等しく全てのモノに須く与えられる。それが、掟。

「答えが、欲しい」



束の間の、沈黙。
彼は瞬きもせず、何も読み取れぬ面持ちで、僕を見つめていた。
右手にカップを、左手にワイングラスを。


カチャ    ン


沈黙を破ったのは、ガラスと陶器の奏でる衝突音。

「…私の負け、ですね」
「そのようだね」

両の手にあったものは気が付けば定位置に戻っていた。
カップは食器棚に、ワイングラスはテーブルの上に。

(如何やら今日は彼の意向に因って、ワインに決められたらしい)

クス、と彼は微笑んだ、その笑みは夕刻に見た人形師の笑顔とは、何処か違っていた。
何故ならば、此れはゲームであり、僕と彼は、単に遊戯ていたに過ぎないからだ。
夕刻の彼は、戯れではなく、本職の、彼。

(二面相だ)

或いは多面相かも知れないが。

「良いでしょう、お教えしましょう」
「ルールだからね」
「そう、ルールですから」

彼は機嫌良く指先で指揮をとり、人形を呼ぶ。
焼かれずに済んだ、愛くるしい人形達が、小さな体で以て器用にワインを注ぐ。

「単純なコトです。失敗作ですよ」
「失敗?君が?」

人形が差し出したワイングラスを礼と共に受け取って問う。
卓越した人形師たる彼に、失敗などありえるのだろうか。

「相性が、悪かったのですよ」

やや自嘲気味にそう微笑んで、グラスの淵に指を這わす。
何気ない動作にも拘らず妖艶に見えるのは、
彼の、夜にだけ表れる例の独特な雰囲気の所為なのか、或いは僕の視覚に異常が有るのか。
然しどちらにせよ、僕が思わず彼の指先に視線を集中させられたことに変わりはない。

「相性」
「そう、相性です」

指先が、グラスの淵を離れ、まるで止めて仕舞った言葉の先を探し求めるかの様に宙を彷徨う。
然し今度は目で追わず、指から離した視線を彼の視線に合わせた。惑わされては、いけない。
目で先を促せば、仕方ありませんね、といった風に苦笑して、彼は話を再開し始めた。

「私と、我が子との相性。子は親を選べない、と申しますが、逆も然りなのです」
「人形の創造主の君でさえ?」
「私でさえ、です。そしてそう云った子達は、私に従わない。
従ってくれなければ、私は彼らを教育しようと試みます。
然し其れでも私の言葉が届かない子達がいました。さてでは、如何すれば良いでしょう?」
「…だから、燃やしたの?」

(其れは…)

あんまりだ、と云おうとした、口の前に、彼の黒く塗られた指が有った。

「外れ、です。哲学紳士を謳う方にしては、今日は余り冴えていない模様ですね」
「だって」
「貴方の恋人は、そんな極悪非道たる冷徹漢でしたか?」
「…」
「貴女の愛する人形師は、無実なる人形を業火に投げ入れて遊戯ぶのですか?」
「じゃあ何故」
「だから外れだと、申していますでしょう」

呆れ顔で、グラスのワインを半分程一気に飲む彼の瞳は、何故か柔らかかった。

「…護れないから、です」

アルコール分を含んだ吐息と共に吐き出された言葉に、僕は一瞬戸惑った。
護れない ? 人形を?

「そうです。私が操縦してあげなければ、何れは壊れて仕舞います。
其れが、魂を入れられた人形達の、定め。
作られし者達は、術者無しでは、生きていけないのです」


其れは恰も、創造主たる神に作られし人間達が、信じること無くして生きられないように
信仰に縋る、哀れな人間の様に


「何か一つ、信じなること無くして生きられるものはいません。
動物は、自らの本能と、自らを産み落とした親を信じ、従う。
人間は、神を、死者を、使者を、或いは自分にとって何か大切なモノを信じて、生きる。
人形は、自らに命を吹き込んだ術者を信じて、踊る。
其れが、定め。従って私の言葉が聞こえない子達は、私に護られること無く、壊れて仕舞う。
だから壊れる前に、作り直すのです。燃やして、土にして、灰にして、無に帰して。
そうしてきちんと私の子に成れるまで、繰り返すのです」


今日の彼は酷く、饒舌だ、と今更の様に気付いた。
アルコールの所為では、無いのだろう。幽霊は、酔わない。

「ジズ」
「はい」
「一つ良いかな」
「なんなりと」

酔った風に演じる、然し彼の眼は、揺るがない。座っているのではなく、揺るがない。
只楽しそうに、此方の返答を待っている。

「其れが、作りだした者の責任である、ということは解るよ
でも、君は其の行為を、些か苦痛に感じている。違うかい?」
「…」

彼は未だ尚、楽しそうに目を細めている。
如何やら返答する気は無いらしく、只無言の笑顔で、続けて下さい、と先を促す。

「だから、そうやって自らを論理で縛りつけて、自分の行為に疑念と苦痛を抱かないようにしている」

護る為に、壊す。護りきれず壊れて仕舞う前に、作り直す。矛盾が垣間見える、行為。
其れが、製作者にどれ程の精神的苦痛を与え得るだろう?

「作っては燃やし、繰り返す。君は其れに、疲れてきた。違う、かい?」
「…お見事、です。流石は私の愛しき、土星頭哲学者ですね」
「土星頭は余計だよ」
「ふふ、失礼」

夜の彼は、大抵上機嫌だ。無論原因は、其の幽霊という生態から来るものなのだろう。
何が可笑しいのか、ふふふ、と妖しい笑みを零して立ち上がる。

「では答えが出ました処で、今宵の晩餐はお開きに致しましょう」

歌う様にそう云うと、人形達がわらわらと集まっては片付けを始める。
毎度のことながら、人形師とは如何なる術を使っているのか、理解しかねる。

「いつかじっくり、教えて差し上げますよ」

僕の不思議そうな表情から推測してのことであろう(と願いたい。断じて読心術などでは無いと)、
人差し指一本で小さく指揮を取りながら微笑む彼の口元にはもう、あの妖しい笑みは残っていなかった。

「惑わされているうちは、何も見えませんからね」
「…ジズ?」

其れは、どれに対しての、言葉?

疑問符を浮かべる僕を余所に、彼は手持ち燭台に火を灯して食堂の戸を開く。
慌てて其の黒い影の後ろを追い、横に並んだ。

「…ねぇ、ジズ」
「はい」
「今度から、一緒にやろうか?
僕は彼女等と会話できないから、一緒に居るだけだけれど…」

それじゃあ矢張り何も役に立たないかな、と自嘲気味に笑って云うと、
彼の、蝋燭を持っていない方の手が、僕の唇に触れた。
狐の形を模して。

(狐…化ける…ヒトを惑わす……惑わす?)

何となく先刻の言葉を想起して仕舞ったが、果たして関係が有るのか否か。

「…」
「ウォーカー」
「うん?」
「有難う、御座います」

先程の饒舌やら笑い声やらは何処へやったのか、其処には柔らかい、
一人の幽霊の、少し陰った微笑みがあった。
僕もつられて小さく微笑んで、彼の肩を引き寄せる。

「如何致しまして」














惑わされたのは、誰だろう
惑わしたのは、誰だろう
惑わすことで誤魔化された解答は、どれだろう
解答は、何だろう





(嗚呼、そうか)

最後の答えが、未だ出ていなかったのだ

(上手く惑わされた、な)






一人言て、更ける夜を見送った。
惑わした本人は、安堵の腕に抱かれて、深い眠りの中。



「おやすみ、愛しくも悲しき、人形師さん」



end.