月と貴方



カラン、とグラスの中の氷が、何処か心地よい響きを奏でて揺れた。
其れと共に、ハーブの香りも微かに揺れる。
二つのグラスのうち一つをテーブルに置き、
もう一つはテラスにいる彼に。

「ん、ありがと。」

柔らかな笑みで礼を言って、彼は受け取る。
そして、とても大事そうに、其れを一口、喉に通した。

「月をね、見てたんだ。」

口内を空にして、彼は云った。

「月・・・・」

言葉を転がすように、唱える。

「そう、月。綺麗だろう?」

彼はまた一口、ハーブティーを飲む。
見上げると、微妙に端を欠けさせた月が、
取り残されたようにぽつんと闇に浮かんでいた。

「ジズは月、好き?」

横目で問われる。
カラン、と涼しげに氷が笑う。

「・・・あまり、好んではいないと思います。」

他人事のように呟くと、彼は『何故?』と
月を見ながら問う。

「・・・だって、マイナスのイメージの方が、多いんです。
確かに月は綺麗です。
でも、一人の時に見上げると、無性に寂しくなる。
自己嫌悪しているときに見ると、嘲笑しているように見える。
それに・・・・」
「それに?」

言葉を止めると、促すように彼が云う。
見上げると、相変わらずの穏やかな笑みを浮かべている。
その隣には、ほのかに朱色を帯びた月。

「それに・・・・月は、一人では何も出来ない。
夜空に浮かぶことも、まして光ることも。」

俯いて、僅かに彼に体を預ける。

「まるで、私みたいに。」

手袋をはめた、けれど優しい手が、私の肩を包む。

「モノは考えようだ。」

彼は云う。
私には勿体無いほど、優しい声で。

「一人のときに見上げる月は、君を孤独にはしない。
優しく、温かく、見守ってくれてる。
自己嫌悪のときは、慰めてくれる。
何もいえない代わりに、優しい光をくれる。」

ほら、ね。と、彼は微笑む。

「無害なモノに、マイナス意識は持たないほうがいいよ。
その分だけ、自分が寂しくなる。」
「でも、月が一人で生きていけないのは、事実です。
私が一人では生きていけないのも。」

納得のいかない表情でそう告げると、
彼は小さく笑って、其れも考えようだ、と云う。

「例えば、この世の中に、月という星が存在しなかったとしよう。
夜、太陽が地球の反対側へ言っている間、
照らされていない側はどうなるだろう?」
「闇に包まれて、どうすることも出来なくなる・・・。」
「そうだね。じゃぁ、どうすれば反対側も照らせるだろう?」
「もう一つ、光る存在を作る。」
「正解。でも、太陽ほど明るいと逆に夜という
安息時間も無くなる。明る過ぎず、暗過ぎず、
太陽の代わりとなるもの。それが、月だ。」

分かるかい?と子供に訊ねるように云う。

「つまり、地球にとっても、太陽にとっても、
月という灯りが必要であった、と?」
「そう。だから、君も。」

少しかがんで、彼は私の額に口付けた。

「私、も?」

「うん。だって、君がいてくれるから、僕も寂しくない。
君がいてくれるから、僕はここにいる。
持ちつ持たれつ、さ。君も、僕という存在を、助けてる。
それだけじゃない。
人形達も、君が命を吹き込んだから、
今こうして動くことが出来る。」
「・・・・。」

どう返答して良いか分からず、俯いたまま
子供のように、彼の白衣を握った。

「私は、此処にいて良いんですか?」
「何云ってるのさ。云っただろう?君がいるから、僕がいるんだ。」
「ウォーカー・・・。」

見上げた先にあったのは、彼の、これ以上無いほど
温かな笑みと、
今までより優しく見えた、上弦の月。

「・・・月を、好きになれたかもしれません。」
「そう、其れは良かった。」

また小さく笑って、彼はグラスに口付けた。






fin.