雰囲気




人込み。
人混み。
人塵。
人芥。

ゴミ。
役に立たず、無い方が良いもの。つまらないもの。

つまり、そういう解釈をするならば、人塵は、塵の集まり。
そして、その人塵という名の雑踏の中に居る自分もまた、塵である。
世の、塵。何に関わるでもない、居なくても支障の無い存在。


なんて。
つまらないことを考えていた。ら。



つまらなくないモノを、見つけた。





南欧の貴族のような、真紅の羽根飾りのついた漆黒の帽子。
同じく鴉の濡れ羽のように黒いマント。
今時珍しい、というか割と有り得ない出立ち。
しかし、この場合、僕が惹かれたことに、格好は関係なかった。
その人の纏っている、空気というか、雰囲気というか、それらが、
僕の足を止めさせた。

この人という塵の集合体の中で、一人、石の中の玉のように、
周囲とは異なった、異種の存在が、居た。
動き流れる人々の中で、歩むことをせず、
けれど誰にぶつかることも無く、
誰に触れられることも無く、
ただ、佇んでいた。
視線は上。明後日。宙。空。

そして僕は、興味本位からか、
その場で半ば立ち尽くすように、その人だけを見ていた。




数秒か。数分か。数時間か。
またはそれ以上か。
または一瞬か。


自分が今どこに居るかも分からない程、
その人だけを、見ていた。



と。
一瞬。
今まで微動だにしなかったその人が、
こちらを振り向いた。
視線が、交差した。交錯した。

一瞬だった。

戸惑う間も無く、その人は歩みを進め、
人の流れの中に紛れ、消えてしまった。


だが、その一瞬。
その人の、表情が見えた。
垣間見えたその表情には。

嘲笑。冷笑。微笑。苦笑。自嘲。
憂い。悲しみ。哀しみ。愛しみ。
憎しみ。慈しみ。


それら全てを持ち合わせたような、
或いはそれら全てを持ち合わせていないような、
表情をしていた。
もしかしたら表情すらなかったのかもしれない。
全ゆえの無。
無表情。


あっという間に視界から姿を消したその人は、
実に不明瞭な人だった。
そして、不明に惹かれてか、その人自身に惹かれてか。


僕は、もう一度、その人に遇いたいと思った。





fin.