Monocromatico




其の、得体も知れぬ、自分と全く同じ顔をした彼、は、
気付いた頃には、存在しているのが当たり前になっていた。
何時からいたのか、何処から来たのか、其れすら曖昧な存在であった。
然し、全てが不明、と云うのは逆に、何も考えなければ至極心地の良いことだった。
只私達の知っていること、と云えば、互いが互いを、満たせる、と云う事だけだった、
としても、だ。



(若しかしたら、彼は私の鬱屈した意識が生み出した、
幻影と云う名のもう一つの人格だったのかも、知れぬ)

















其の日も、彼は其処に居るのがさも当然、と云った風に
私の向かいの席で紅茶を嗜んでいた。
因みに、私が先程淹れた紅茶は、私一人分のみである。
気付いて手元を見てみれば、私の紅茶は忽然と有るべき位置から消え失せていた。

「若しや、其れ、私のでしょうか?」
「若しも何も、貴方のモノは私のモノでしょ」

丸で其れが万国共通のものであるかのような表情で、
見事なジャイアニズムを提示されて仕舞った。
我ながら情けなくも思ったが、然しさりとてまともに相手をする気にもなれなかったので
(断じて口先で勝てる自信が無かった、なんて訳では無い。断じて)
テーブルの端に置いてあった本を手に取った。

(おや、こんな本何時持って来たろうか)

見覚えのない表紙に首を傾げた。
覚えが無い、とするならば、私がアルツハイマー等に掛からぬ限りは
目の前に平然と座っている白い男の仕業に他ならない。

(…まぁ、良いか)

自分の分の紅茶を再度淹れに席を立つより、手元の本から知識を得ることの方が余程ましだろう。
そう思考を纏め、表題を眼で追った。
途端、絶句。

「もしもし、そこの白きお方」
「何ですか?」
「何が故にこの本を私の手元にお持ち下さったのでありましょうか」

些か、仮面に隠された方の頬が怒りと困惑に引き攣った、ように感じた。
そんな気も知らず、相手は蒼い羽飾りを揺らして、事も無げに微笑む。

「私と同じ精神を持っているのなら、同じ嗜好も持ち合わしてるんじゃあ無いか、と思って」
「………御冗談を」

くるりと本を逆さに並行回転させ、丁重に、然し半ば突き返すように相手の手元に差し出した。
どうやら無理矢理読ませる気は無いらしく、私と同じく手袋に包まれた手で以て大人しく受け取る。
暫し、次の言葉を探すように、本の表紙に眼を落していたが、つと面を上げ

「嫌いですか?この手の趣向」

嫌いも糞もあったものか、この悪趣味め。
と、我ながら汚い罵倒の言葉を引き攣った面に隠しながら、平静を取り戻す為に
髪を結い直そうと、後ろで長髪を括っていたリボンを解いた。

「生憎と、嫌いを通り越して無関心、ですよ。そのような俗物には」
「ふぅん」

相手は只、私と同じく半仮面に覆われた顔に得体の知れぬ微笑みを浮かべている。
私と同じ精神などと云い乍ら、然し私から見れば何一つとして酷似していることなど無かった。

(彼は、類似品であって、模造品では無い)

同じ顔、色は違えど同じ服装、同じ仕草。
異なる嗜好、異なる口調、異なる言動。
飽く迄、神の気紛れによって造られた、私の類似品に過ぎない。
そう脳内で結論付けつつ、布擦れの音をさせて髪を結う。

「綺麗な髪」

伸ばされた指が、結い切れず零れた横髪に触れる。

「…貴方と同じでしょう」
「そう、同じ」

何が可笑しいのか、くすくすと笑いを零す。
訳が分らぬ、と思いつつ、結い終えた髪を後ろへやった。

「そう云えば、貴方は其の髪、鬱陶しくないのですか?」

今になってもう一つ、異なる点を見つけたのだった。
彼は、私と同じく長く伸ばされた髪を、結うことも無く後ろへ流していた。

「結うのが面倒なんで」
「…」

少し呆れた。
矢張り、彼は私と異なり過ぎている。最早類似でも何でも無い、只外見が同じだけの他人、だ。

「…結って、差し上げますよ」
「それはどうも」
「見ている方が鬱陶しいですからね」
「そう?私は貴方の髪、好きですが」
「云っておいでなさい」

小さな溜息と共に席を立って、丁度ポケットに入っていたリボンを取り出す。
彼の背後に立ち帽子を外しながら、黙って結っているのも居た堪れない、と思い、話題を探る。

「…先程の本」
「はい?」
「ああいった類の物、お好きでしたら書架の奥の方を探してご覧なさい」

私の言葉に思わず振り返る彼に、結い難いです、と眉を顰めれば、大人しく正面を向く。

「あるんですか?」
「…無きにしも非ず、程度ですよ。私の趣向ではないので、
恐らくは埃を被って眠っていると思いますが」
「では、髪を結び終えたら探しに行きましょ」

指の隙間から零れ落ちる金糸を漸く捕えて、リボンで纏める。
人の髪を結うというのは、自分の其れより幾分、難しいように思えた。

「…私も行くのですか?」
「当然。私だけじゃあんな広い書架、探しきれませんから」
「拒否権は」
「無いでーす」

一瞬、結い掛けのリボンで以て、髪と共に首も括ってやろうかと思った。
が、どうせ私と似たような身、殺しても死にはしないのだろう。残念ながら。
舌打ちしたい気分になりつつも、蝶々結びの形を整えて、天頂を軽く叩くに留めた。

「終わりましたよ。今度からちゃんとご自分でお結いなさいな」
「厭です。面倒臭い。毎朝ジズが結ってくれたらいいでしょ」
「…」

最早殺意なるものは昇華して仕舞って、其処にあるのは只、諦めであった。

「…分りました、から、さっさと書架にでも引き籠って来て下さい」
「ジズも、ですよ」
「……はい」

何が悲しくて、こんな身勝手な者に逆らえぬのだろう。
否、別に異論を講じたとて首を絞められる訳では無いのだが、彼を相手にすると訳も無く、
反論することそのものが、脳内の選択肢から消え失せるのだった。

(嗚呼、鬱陶しい)

足取りも軽く書架へ向かう彼に聞こえぬ程度に、そう呟いて、肩を落とす。
一体、こんな生活が何時まで続くのだろうか、と考えると、空寒くなった。
(或いは、何時から始まっていたのかすら、分らなかった、が)















似て非なる、黒い私の、白い影。
孤独を願う者として、終焉を願おうとした。
然し、何が故にか其の白い影は、酷く温かく、居心地の良いものだった。
不覚にも、失いたくない、などと思う自分が、隅に居た。

(酷い道化、だ)

自嘲する、然しその眼に、孤独の影は薄らいでいた。

(結局、私は、自分の写し身で以て、孤独を埋めたかっただけなのかも知れない)










next...?

(気が向いたら続きます、が、断じて期待などしないで下さい)