嘘と涙
「僕何処か遠い所に行かなくちゃあいけないんだ」
「は」
あろうことか曲がりなりにヴィジュアル系バンドのリーダー様であらせられる彼にすれば
珍しいことこの上無い間の抜けた面で僕を凝視した。
僕はさして意外でもないそのリアクションをせせら笑う。
蚊帳の外とは良く言ったもので、部外者に程近い狗は只只訳も分からぬ様子で
台所から僕等の様子を窺っている。
「僕もう此処には居られないの。だから何処か君が追いかけられない程遠い所に行かなきゃあいけない」
「…スマ」
「ばいばい。愛してたよ」
にっこり笑って病的に白い頬に小さく口付けた。
彼は今にもその深紅から泪を零しそうな瞳をしていて、僕は内心で腹を抱えて笑っていた。
「ユーリ泣きそう」
「、莫迦をほざくな」
「悲しい?僕が君の腕の内から去るのが」
「まさか」
この人僕より可愛気あるんじゃあないかしら、と思った。
しかしながら僕は彼を喰う立場より彼に喰われる立場にあったので、そういった発想は如何なのだろうか。
「じゃあね」
足下はもう消えていた。
もう、消えようと思えば二瞬位で消えられる程度だった。
ユーリ、は、
「ああ、泣いちゃった」
無表情のままの端正な顔の両目から一筋、水滴の通った跡が残る。
「、莫迦者、行くならさっさと行け」
苦し紛れに僕を怒鳴りつける声が、彼の虚しさを物語っていた。
自分の物にすることが出来なかった無力さ、を。
否、もしかするとそれは只玩具の独占に失敗した駄々っ子の泣き声か、或いは統治支配に失敗した独裁者の怒号
なのかも知れない。
が。
「泣かないでよ、ユーリ。冗談なんだから」
「…………………………は」
「四月莫迦だね」
台所で只只茫然と突っ立って僕等のやり取りを凝視していた狗が
危うく拭いていた食器を床に落下させかけているのを横目に嘲笑う。
「、冗談にも、程度があろう…!」
「うん、まさか泣かれるなんて計算外だった。ごめんね」
「御免で済むものか」
「じゃあ如何したら許してくれる?何でもするよ」
今日二回目の嘘だった。
だって、死ね何て云われたって死ねないもの。不死身だもの。
微塵切りされたって死ねやしない。
「ユーリ?」
頭を捻って思考に徹する彼を待ち飽きて、名前を呼ぶ。
狗が字の如く聞き耳を立てていた。
「 」
そんなのでいいの?
と思わず問い掛けてしまった。
酷く滑稽過ぎたのだ。
これじゃあ泪の元も取れやしないじゃあないか。
「愚問だ」
「…解ったよ。承諾しよう」
狗が布巾を落下させた音が聞こえたが、僕も彼もそれは気付かなかった。ことにした。
四月莫迦は誰だろう?
fin.