頭文字遊戯び





#1
辞令

その日は一日中雨音のする日だった。
雨音に間切れてキッチンから食器の微々たる衝突音が耳を通る。
しかし、音はあくまで通っただけであり、私の脳には生憎、伝達などされもしなかった。
恐らく、私の伝達神経が其の音を無視したのだろう。
予想も不必要な程に明瞭過ぎることである。
私は閉じられた窓から外の雨音を吸い込むように、深く、静かに呼吸をした。

程無くして、紅茶がテーブルに二つ置かれた。
しかし、矢張り食器の立てた音を私が認知することは無かった。

「砂糖、要りますか?」
「いえ、入れないで」
「はい」

どうぞ
と柔らかいテノールが、私を椅子へと誘った。
私がテーブルに近づくと、彼至極自然な動きで椅子を引き、私を座らせる。

「・・・有難う」
「如何致しまして」

彼も向かい側の席に着いて、カップを手に取る。

雨は相も変わらず、宛らテレビの砂嵐のノイズの様な音を立てて降り続ける。
文字通り纏わりつく湿気に厭気が差し乍ら、
私も彼に習ってカップの取っ手を右に回して手を添える。
途端、熱は此方に伝導され、其れが未だ私の飲める温度ではないことを知らされた。

「・・・紳士って、如何云う者を示すのかしら」

私の唐突な問い掛けに特に動ずる事も無く
彼は静かに、少し考えるような仕草をする。

「其れは、また微妙な質問ですね」
「そう?」
「えぇ」

困りましたね。と彼は全く困っていない面持ちで返す。
如何やらこの質問は彼の気に召した様だった。

「私の脳内思考回路が示す紳士とは
社交辞令と愛想笑いで出来た人形のようなもの、ですが」

世間とは些かずれた私見が大いに含まれていますからね。
そんなものはこの様な俗世の中では当てに等、成りもしないでしょう。

彼はまるで自分に云い聴かせるように、そう完結させた。
そして、今の噺等何も無かったかのように、ゆっくりと紅茶を嚥下した。
私も半ば彼の言葉を押し流すように、少しは温くなったであろう其れを口にした。

紅茶はセント・ジョンズ・ワートだった。

「世間なんてそんなものだわ」
「そんなものですかね」
「えぇ」

彼は小さく苦笑して、囁く様に云った。

「私はこの汚い世の中よりも、紳士なんて礼儀と品格に固められた者の方が大嫌いなのですよ」

雨はいつの間にか小粒の結晶と化していた。
音の無いまま降る其れを私は黙って紅茶を飲み乍ら、当然の如く無視した。

























#2 頭蓋骨

寝台に横たわる眠り姫の鴉色の髪を
指で軽く梳くように撫でる。
只只管狂おしいと、思う。
髪を撫でた指を其の儘頬に滑らせ
顎筋をなぞり唇に触れる。

(ああ喰べてしまいたい)

今直ぐ此の儚い肢体を余すこと無く
筋の一本も脳漿の一雫も残さず
此の体の中に収めてしまいたい。

まるで摘み喰いでもするかのように其の幼い唇を啄んだ。
何に例えることも出来ないであろう柔らかな感触に、
唇を離すことすら惜しまれる。

「ねぇ籠目、私は何時もこんなことしか考えていないのですよ」

きっと敏い貴女はとうの昔に知り過ぎる程知っていたのでしょうがね。

それでも未だ私の傍に居る貴女を喰べたならば
私は貴女のような綺麗な脳髄を持てることが出来るのでしょうか。

「・・・・・なんて、ねぇ。」

在りもしない満腹中枢が有りもしない空腹を訴えた。

























#3 棺桶

伏線なんてものはさり気なく他愛も無い会話に張り巡らされている。

「籠目は、神様に遇ったことはありますか?」
「いいえ。ジズは?」
「・・・何度か、ね。何しろ人では無い身でありますからして」
「・・・・・・そう」

たまに、或いは良く私は彼が人と違えた存在であることを失念する。
きっと彼が余りに不自然なほど自然に
此の世界に溶け込み生活している所為以外の何物無いだろうけれど。
生活の生は生きるの生。生活の活は活きるの活。
一体此の言葉は彼に使って善いのか否か。

「・・・籠目」

しかし彼は衣食住を全てこなし、人間と何ら変わりの無い生活をしているのだから
矢張り其れは生活と云うのではないのか。

「籠目」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・、何?」
「いえ、余りに静かなので死されたのかと思いまして」
「そんな安易に死ねないわ」
「ですね」
「そもそも貴方は私に早く死んで欲しいのかしら」

云ってから、私は其れがこの上なく愚問であったことに気付いた。
彼の顔を覗うと、彼はくすくすと上品に笑って、私に向けて目を細めていた。
如何やら、というか明らかに、私は彼の手に嵌められていたのだった。

「籠目。幽霊と人形、何方が善いですか?」
「・・・・選択できるのなら、前者の方が良いわ。
貴方の人形になんてなったら毎日何をされるか分からないもの」
「おやおや、其れはまた随分と非道い云われようですねぇ」
「当然よ、死体愛好家で死体操術者なんて」

貴方の人形になんてなりたくないの。
私は貴方の傍らに自らの意思で座っていたいの。

「私、死体は嫌い」

























#4 五月病

ぎゅう。

「・・・・・・・・・・・・・・・籠目?」

気が付けば、彼女の細腕が私の背に回っていた。

「如何、したのですか?」

そっと抱き合うような形で彼女の肩を抱き寄せる。
そっと、そうっと。
強く抱きしめたら、きっと此の子の矮躯など
遺伝子レヴェルまで粉々に砕けてしまうだろうと一瞬だが、本気で思ってしまったのだ。

「人肌が恋しいの」

彼女は私の胸に顔を埋めながら
若干くぐもった声でそう云った。

「しかし籠目、私は人ではありません故に
此の行為は然程意味はないかと」
「屁理屈ね」
「屁理屈も理屈の内ですよ」
「じゃあその理屈に乗っ取って云えば、貴方は少なくとも人の形をしているのだから
人肌と同じじゃないのかしら」
「・・・あぁ、そういうのも有りですか」
「有りなの。だから私は暫くこうしてても何の問題も無いのだわ」

そう云って、籠目は先程よりも強く、私の腰にしがみ付いた。



完。




何か短編集みたいな仕様になっているのは単に私が長いの書けないからですごめんなさい。
そしてかごめの漢字表記は趣味です。アンソロの指定で平仮名だったのですがサイトなので此方で。笑