大脳辺縁系
君が僕以外の誰かと接しているだけで苛立つ僕が厭なのです。
「僕の大脳辺縁系なんて無くなればいいのに」
独り言て、羽枕に半ば倒れ込む様に顔を埋めた。
鼻腔を掠める、言葉では表せずとも本能で判る彼の香り。
二百年近くも共にいると、両者の体臭なんて混ざってしまうのだろうか。
互いに行き来した故か僕の寝具に染み着いた香りが、馴れたはずの匂いが、今日は何処と無く引っ掛かる。
(病んでるなぁ)
忌々しき左目を覆う眼帯を外して、手近にいた兎の人形を手繰り寄せた。
そのまま抱き締めて、背中を丸める。
「こんな気持ち悪い感情なんて欲しくないよ」
泥泥と渦巻く訳の分からない何かが、僕を酷く息苦しくさせる。
これは、何なのだろう。
(妬いてるなんて何を今更)
横になったままコートの釦を外して肌蹴させ、シーツを頭から被った。
(寝よう。寝ればきっと紛れる。疲れてるんだきっと。)
念仏の如く脳内で唱える。
直に触れる冷たいシーツが、肌を鋭利な刃物の腹で撫でられる感触を生む。
「痛い、よ」
軽い頭痛に苛まれながら、人形に口付けて、瞼を閉じた。
つもりだった。
「眠るのか」
「・・・」
息を飲みかけて、留まる。
閉じかけた瞼が意志に反して持ち上がる。
声は、横たわる僕の足元からだった。
(いつから)
予想外とは云わずとも意識外であった彼の登場に、言葉をも発せず、沈黙する。
気配が無いなんて、この人死人じゃ無かろうか。
と思いかけて、彼も僕も人を逸した妖怪であることに気付く。莫迦じゃあ無いか。
「眠るのか」
再度、さして語調が荒れるでも無く問われる。
「寝るよ。何が不都合でも?」
埒が明かな気だったので、仕方無しに答える。
「不都合では無いが、」
「じゃあ寝かしてよ。お休み」
「スマイル」
「・・・・・」
「スマイル」
「なあに」
負けた。
どうしてこの人は僕をこうも容易く手籠に出来るのだろう。
「病んでるな」
「病んでるよ」
「何があった」
「君は悪くないよ。僕が悪いんだから」
「あらかた理不尽な嫉妬でもしたのだろう」
「うん。だから君は悪くない」
「そうだな」
ぎしりとスプリングが軋み声を上げる。彼が移動したのだ。
僕の上に。
「厭だよ」
次の行動を予測した僕は間髪入れずに彼の胸板を押し返す。
「今したら何を口走るか判ったもんじゃあ無い」
「病んでるから?」
「そうだよ。だから止めて」
重ね交えることはニアリーイコールで自分の中身の大半を相手に晒け出すことと繋げられる。
つまるところ、今の僕が彼に体を預ければ、この泥泥した気持ちの悪い感情も一緒に預けることになる訳で。
「それは、私には総てを晒せないという意味か」
「勘違いしないでよ。君を嫌いなんじゃあ無い。君が大好きだから、駄目なんだ」
判ってよ。
見上げた目で云う。
これは最早最後の札だった。
これ以上の抵抗は、許されない。ここで彼が退かなければ、僕は、
「スマイル」
「なあに」
「私は、お前の内外表裏総てを、愛しているつもりだよ」
「うん」
「故に、例えそれが私に向けられた負の感情であれど、隠すことは許し難い」
僕は何も云わない。云えない。云う必要が無い。
行き先は、決まってしまった。
「お前を愛する行為の、許可を」
「・・・、もう、抗えないよ」
押し返していた気持ち悪い位に細々しい腕を、半ば無気力気味に下ろす。
光の見えない左目が、これから晒される中身を代弁するかの様に、鈍く痛んだ。
続→大脳新皮質*